2016年02月28日


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フィリピン回顧録 フィリピンと日本を

フィリピン回顧録

今日から暫くは、私がフィリピンに移住した頃の話を、


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私はフィリピンに来た当時はこの様な物を販売していました。

私がフィリピンには短期では何度も渡比をしていましたが、
1度目の永住は多分、今から25年前の話と思います、

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この写真はアイスキャンデーの販売のポスターですね、私の撮影です。

この時は私ももう40才を超えて居たと思います。
しかし、まだ此の頃は頭の回転は速く、物覚えも一流で、
一度覚えたら忘れない良い頭脳でしたね(笑)

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この時のは妻も私も若いですね(^^♪


今は70才に手が届き、物忘れは超一流で記憶力は
まるで無く、朝に食べた、物が思い出せない、知人の
名が出ない、場所の名が出ない、と忘れては行けない事は
忘れ、忘れたい事は、いつまでも覚えて居ます。

またフィリピン語であるタガログは、フィリピン滞在中の
8ヶ月間で覚えもしないのに、ある日突然、喋れました。

まさしく目の前の視界が突然明るくなつた感じでした。
このまま、フィリピンに居たら、今頃はペラペラで、
言葉では、何の不自由も無く、暮らせたと思います。

ところが商売でけつまずき、私一人が日本帰り、お金を
稼がないと、行けない羽目に成り、帰国、そんの3年後には
妻を日本に呼び、更に10年は日本で暮らして居りました。

そして、2004年10月に嫌がる妻とフィリピンに完全
移住です。この時、妻は日本の永住権は取得しています。

私も60才で移住計画していましたが、2年早めての
移住でした。



移住してからの妻は豹変しています、
夫婦喧嘩は絶え間なく続き、商売も軌道に乗りますが、
妻の協力も得られず、挫折、妻の商いは、それほど稼げる
物では有りませんでしたが、私が始めた写真屋は軌道に
乗りました。このまま行けば、暮らしは安泰でしたが、

移住後3年で、私の母親が死去して、日本に一時帰国しました。
この時は親の家で暮らしましたが、妻はフィリピンに帰るのは
嫌だ、私は残り、ここで仕事をしたいと言う物で、

私は了解しましたが、私は条件を付けました、
毎月3万円の仕送りと、年金の払い込みですね、

これが出来るなら、OKと妻もこれを受け入れて、
私はフィリピンで一人暮らし、妻は私の実家で3年半苦労します。

それからの私のフィリピンは、酷い物で、写真屋は2度の洪水で
廃業です。更に遊びが過ぎて、生活は破綻、合えなく、2年で日本に
帰り、立て直しを図りました。


ここまでが、私の第一部ですね(^^♪


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posted by サント芹沢 鴨 at 08:47 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする