2015年04月27日


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明智光秀謎の首塚

明智光秀の謎首塚



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光秀の塚
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このお堂に有る光秀像

京都市東山三条白川
白川を南小さな石碑が饅頭屋さんの通りを東に約15m
此処に明智光秀の首塚が有ります。
天正10年(1582)本能寺で明智光秀が主君の信長を撃ちますが
京都山崎の天王山で、羽柴秀吉との戦いで、光秀は敗北して滋賀県は
坂本に逃避しますが、伏見は小栗栖の竹藪で撃たれます。
そして光秀の首は秀吉の元に届きます。
これが略真実ではないかと言われれて居ますが、
実は光秀は撃たれず、家康が助けたとか、秀吉が見た首は
誰か判らない程腐敗していたとか、話しは色々です。
この首塚の話も合わない点が有ります、伏見の小栗栖で撃たれた光秀、
家来がその首を持ち何故、東山三条の白川に居たかですね。
小栗栖から滋賀県は坂本はこれは正解の道ですが、
また東山三条は坂本とは反対です。この首塚に書かれている案内板には
こう書かれている、
光秀の家来がこの地で首を落とし、此処に埋めたと有ります。
しかし、これも不思議な話ですね、何故撃たれた光秀の首が
家来が持ち去るのか?したら秀吉が見た首は誰の?ですね、
それと家康の相談役の天海僧正は?お福様はと色々と疑問が
更に日光の明智平は?と明智光秀の痕跡が沢山あります。
天下の大罪の光秀が何故?ですね。
京都には光秀ゆかりの地も亀岡に光秀の戻り岩『敵は本能寺の地』が
小栗栖の明智藪、亀岡の光秀街道と有りますね。


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posted by サント芹沢 鴨 at 17:03 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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