2015年04月28日


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石川五右衛門

最近、フィリピンの話しも、老後の話しをしていないでは?
いいえ、しています、
老後に成り、有り余る時間をどの様に使うかで、私は今日本で有効に
時間を消費しています。
日本とフィリピンでは遊び方も過ごし方も違います、
幸い日本では言葉が判りますから、一人でどこでも行けます。
それで、今はまた京都の隠れた史跡を探索しています。
これも一つの老後の過ごし方です(^^♪
京都には知られない隠れた歴史の謎が有ります。
今回は石川五右衛門の話をします。
「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
元歌はこれらしい、
「わが恋はよむとも尽きじ、荒磯海(ありそうみ)の浜の真砂(まさご)はよみ尽くすとも」
五右衛門は豊臣秀吉時代に生きた人物ですね、この人は元々忍者と言う事ですね。
天下の大泥棒と言われて居ます、五右衛門は秀吉の居る伏見城に忍び込み捕らえられて、
京都の三条河原で釜ゆでにされています。なんと酷い処刑ですが、
皆さんご存知ですか、五右衛門風呂の言われを、実は五右衛門は家族共処刑さてれ
居ますが、釜ゆでの時、子供とされています、この時、五右衛門は子供を抱えて
熱さを堪えて居ますが、限界の時、子供を沈めて、その子の上に乗りました。
これが五右衛門風呂のルーツです。

375px-Excecution_of_Goemon_Ishikawa.jpg

実は五右衛門の隠れ家ですが、皆さんが知る隠れ家は南禅寺の山門と思う方が
多いですが、実は違います、本当の隠れ家は大和大路正面、秀吉が建てた、大仏殿
近くの米屋に潜んでいたと言われます。これは京都隠れた史跡100選の中で書かれて
居ました、そして五右衛門施しの窓と言われたところが有り、此処から金品を
撒いたと言われています。
さて私が気にしている事が有りました、それは釜茹でした釜ですが、
鴨川の七条辺に釜が淵と呼ばれる場所があります、五右衛門の処刑に使われた
釜が流れ着いた場所だという。
なお、五右衛門処刑の釜といわれるものは江戸時代以降長らく法務関係局に保管されていたが、
最後は名古屋刑務所にあり戦後の混乱の中で行方不明になった。
それを僕が亀岡の有る場所で見つけました、
それを動画披露していますよ(笑)

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posted by サント芹沢 鴨 at 05:30 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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