2015年03月17日


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僕とマグサイサイ

 多分、今から30年前と思いますが、
今の妻がフィリピンに家を建てるからと、お金が居ると言いましたので、
それほど高額でも無いので、簡単に出しました。
場所はマラボーン市と言うらしい。

何故、簡単にOKかは、簡単な理由です、バナナです。
しかし将来、自分が此処で暮らすなど思いもしませんでしたし、
それに、今の妻と結婚など考えもしませんでした。

私が、このマラボーンの家を見聞したのは、何度目かのフィリピン行きで
見聞しました、当時は妻の実家はパサイに有りました、私はフィリピンに行き行けば、
このパサイいから行動していました。

最初はタクシーでパサイから行きました、80ペソでした。
LRT(全線高架鉄道)で行けば、ジプニー共で5ペソで行きました。
当時のレイトは1万円で1800ペソと思います。(2015年、3月時点3600ペソ)

この時もここの地名がマグサイサイとは知りませんでした、此処で見た家は驚愕でした、
何故か?ここに建つ建物は家でなく、小屋でした、それにここは沼地で、歩くのに
ボロボロの木の板を瓦礫の上に並べて歩いて居ました。
また、人口も少なく、静かな貧民屈ですね、当然、犬猫は居ませんしね(^^♪

それに、当時はセメンとブロツクで建設された2個1の建物はそれはそれは、お城に見えました、
2階建てで、360度メトロマニラが全貌でき、TVのアンテナなしでTVが鮮明に映りました。
でも、まだここで暮らすとは思いませんでしたね。

私が此処がマグサイサイと判るのは、1990ごろかな?第一回目の永住でした。
この時のマグサイサイは、もう完璧な貧民屈で、ゴミの山が築かれて居ましたよ(笑)
しかし、今より治安は良く、喧嘩・揉め事、また争いで人が死んで往くのは有りませんでした。

それはここに昔から住んでいる方が、此処に分家して暮らしましたので、由緒正しい住人でした。



Ramon_F_Magsaysay.jpg
ラモン・マグサイサイ(Ramon Magsaysay)は、フィリピンの第7代大統領。
1957年3月17日、ミンダナオ島へ視察に行く途中、セブのマニュングァル山付近で
起きた飛行機事故で死亡しました。      享年51歳。

マグサイサイの地名はフィリピン7代大統領の名前から付けられました、フィリピンは英雄とか大統領の
名前が、地名、道路に良く使われる。

このマグサイサイで、まさか悪戦苦闘が繰り返されながら、暮らすとは夢に思いませんでした。
でも、このマグサイサイで僕の夢を叶えて行きました。

僕の苦労は2004年から始まります。
この2004年はフィリピンはバブルが始まり、急激な成長をしていきます。マウサイサイも
人口の増加、他府県からの編入、親戚・知人が大量にマグサイサイに来ます、私もその中の一人です。

これからが、僕の『サントのフィリピン無我夢中』が始まります。
お金の問題・治安の問題・女性問題・お家建築問題・商売の問題・ゴミ問題・一人暮らしの問題・住人と問題・
K氏との問題・ちびまる子の問題・今後の老後問題・等々有ります。
これから徐々にこれらを書いて行きます。









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posted by 極楽蜻蛉 at 02:15 | Comment(2) | 極楽蜻蛉の史跡周り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする